とりま風呂

とりあえずまあ、はてブロでも。略して『とりま風呂』 by 常時系

なぜ記事をシェアせずにスクショなのかという話

どもども @georgek5555 です。

Twitterで人気者になるための文章力なんて皆無なので、毎日エロいことばかりつぶやいています。リムーブ率高いです。

さて、今日ネットでこんな投稿がありました。

これを読んだ人が、記事をシェアせずにスクショをシェアする感覚が分からないということを口々におっしゃってまして、個人的には全然納得できたのですが、「なんで納得できるの?」という声があちこちから聞こえてきたので、なんとなく書き記しておきます。

まず、そもそもシェアするよりもスクショの方が全然早くないですか?ということ。
シェアボタンってだいたい上か下ですよね。追従タイプもありますけど、そもそもPCすら持っていない、スマホでしかネットしない世代にとっては、あの上下のところまで行ってわざわざシェアするのがめんどくさいんじゃないかなと。
でもでも、スマホの機能としてシェアボタンを押さなくてもシェアできますよ?っていう人もいるんですが、それすら2アクションぐらいあるから、だったらパシャってやったほうが早いじゃんというのがあります。

続いて言えるのは、わざわざコメントをしなくても、スクショなら「ここを見て!」というのが伝えやすい。つまり、説明不要ってことなんですよね。
いんたーねっつのいろんな記事とか投稿ってありますけど、中身薄いやつ多いじゃないですか?そんなことないですか?すいません。
伝えたいことは、その中のこの部分だけっていう記事を盛大に盛りに持って森鴎外な記事が多いので、その中でも伝えたいことだけを抜き出しているっていうのはあると思うんです。
キュレーターなんて呼ばれている人とかって、よく記事の一部分だけを引用してシェアするじゃないですか?可愛い女子のアカウントに絡んで、人気者にするようなツイッタラーとかに多いタイプのシェアの仕方。あれと感覚的に近いのかなと。

だいいち、シェアボタンもなんだかちゃんと機能しなかったり、アプリによってはスマホのシェア機能もうまいこと機能しなかったりするし、あと若い世代は例えば複数アカウントなんて珍しくないわけですよ。
シェアボタンだと、その切替がまずめんどくさい。
それから、TwitterでつぶやいてLINEで仲間に共有して、Facebookでドヤっとしてとなった時に、全部シェアするとめんどくさいけど、スクショとればかなり楽なんですよね。

あと、写真だけをスッと投稿するのって、なんかかっこいいじゃないですか。そもそも論でいうと、何か一言とかつけてシェアするのって若い感覚からすると少しオッサン臭いんですよね。無言で「スッ…」がなんとなくかっこいい感じがするんですよ。

とまあ、これだけあげても理由はいっぱいあるんですけど、書き手からしたらこれは大問題だっていう人もいるんですが、スクショされても全容が見たいと思わせればいいだけなのかなと。
例えば、漫画の1ページだけをスクショして投稿しているのってよく見かけますよね。
あれだけ観たら、とりあえずその話のコアな部分は掴めたりします。けれど、それが面白いと思ったら「詳細くれ!」ってなって、そのお話を全部読みたくなったりするじゃないですか。
スクショで全部撮られちゃう場合もあるんですけど、それでもやっぱり読みたいと思わせたものは、実際に観に行きたくなるし、シェアもしてあげようという気持ちになるんじゃないかなと。
ネットにあるものはタダだぜウェイなこの時代に、シェアしてくれないとこまるンゴとって言っても、どうしようもありませんから、もちろんネットの記事だろうがなんだろうがスクショしたものを流布するなんて著作権的にどうなんだよ!って声もあるでしょうけど、まあ、心掴んだもんが価値なんじゃないかなと。

とりま、心掴めないからフォロワー増えません。

ブロガー名刺にメアドを載せないことが疑問な理由という話

どもども @georgek5555 です。

 

ついちょっと前に書いた投稿で、匿名にしている理由がどうせお前にはわからないだろメーン!って感じの反応があったので、ものすごくかっこ悪いのですが、補足的にものすごく短く書きます。

 

じゃあ、わたしには関係ないね!っていう人は、ちょっとまってください。僕がこれから美味しいラーメンの話をするので、それをしてからでもいいじゃないですか。とりあえず座ってください。

 

さっきの投稿ってこれですね。

 

torima.hatenablog.jp

 とりま、美味しいラーメンの話はやっぱりしないので、関係ない人は出てってください。

 

さて、携帯番号や本名まではまだ書かないにしても、メアドくらいフリーでいくらでもとれるんだから載せたらいいのにと考えるのには、それなりにいきついた理由があるわけです。

一番の理由は、さっきの投稿にもちらっと書いたのですが「お仕事まってます」みたいなのに、書いてない人はどうしてなんだろうということにつきるのですが、だいたい個々人のブログを開くと「お問い合わせはこちら」みたいなのがありません?

フォーム使っているケースもあるとはいえ、問合せがあったら返信するだろうし、中にはそこにはメアドが載ってる場合もある。

というか、オフで生でぬるっと会ってる人にさえメアドが教えられないというのはどういうことだろうとは考えるんですよね。

いや、わかるんですよ。僕だって謎のメルマガに登録されたりしたことあるから。

 

けど、なんというか、だったらぽいぽいぽーいのぽいぽぴーって感じで名刺きらなきゃいいのにって思うんですね。

例えばこちらがメアド書いている名刺を切ってて、そっちはお前怪しいから警戒するぜっていうのも寂しいし、FacebookみたいなSNSだって、ごちゃごちゃされたら面倒じゃないかなとも思うし。

オススメは、問合せ専用のGmailアドレスあたりを作ることですかね。

あと、短い時間だとあまり話が出来ないから、とりあえず配りまくるというのも、個人的にはそんな交流だったら多分あともあんまり続かないかなーと。実際、その日のうちにTwitterでフォロってきた人とかを試しにフォロバしたことあるんですけど、全然交流ないし、実際に数カ月後会った時も僕は覚えてたんですが「あんた誰?」って感じな人もいたし。

交流のきっかけというのはわからなくもないんですけどね、それをきっかけに交流しようとしているならメアドくらいあってもいいのかなとは思うんですよね。いや、どうどう巡りか。

 

まあ、一番はお問い合わせフォームつけてるけど、お問い合わせ窓口がないっていうのもなーと。どうせなら、ブログのお問い合わせ用のURLでも載っけてたらいいんじゃないかなと。

仲いい人でも、こういうタイプの名刺の人もちろんいっぱいいるんですけど、単純に疑問なだけなんす。

とりま、いま美味しいラーメン食べてきました。

ブロガー名刺はどうして匿名性が高いのだろうという話

どもども @georgek5555 です。

土日にかっふぇで仕事をしていると、綺麗な女の子がきゃわいい服装でコーヒーをシップしているので、とっても楽しいですね。

さて、個人的にはあまり名刺という存在に必要性をあまり感じていないのですが、それでも日々溜まっていく名刺をどうしたものかと、最近eightを使いはじめました。
それで過去にいただいた名刺を今整理しているところなのですが、いわゆるブロガーさんからもらったブロガー名刺なるものを見ていて、前々から感じていたことがあって、ちょっと書きたくなったのですが、どうしてブロガー名刺ってあんなに連絡情報がないんでしょうかね。
よく、ブロガーさんがイベントに参加するときはブロガー名刺をつくろう!って書いてあって、ついでに名刺印刷のアフィリエイトをかましてくるのを見かけるのですが、そういった影響もあって、ブロガーさんが多く参加するイベントにいくとこちらから声をかけなくても、名刺収集している人に多く出くわすので、結構もらうことが多いです。
個人的には、名刺交換するためだけによってくる、まるで春の新入社員名刺交換祭りみたいな状態が好きじゃないのもあって、話もせずにとりあえず名刺だけ交換しよーぜ!っていう人が近づいてきたら、ささっと逃げるようにしています。

んで、それでもこんな僕と名刺交換してくれる人の名刺をもらうたびに、なんでみんなあんなに連絡先を書かないんだろうと疑問に思うことが多いんですね。

多分なんですけど、位置づけ的にはショップカードに近いんでしょうね。
ブログのURLと、SNSのアカウント、それとこれでもか!ってくらい派手なデザインと、たまにイラストとかが描かれているやつ。
中には、とりあえず奇をてらうことを主軸に置いていて、そもそもどこに何が書いているのかよくわかんないのもあります。
そういうのを見ても、名刺本来の機能はそこに求めていないんだろうなーと。

ただ、やっぱりそれでも、仮に携帯電話番号が嫌だとしても、これだけ無料でメールアドレスが取れる時代に、メアドが1つも無くて、SNSアカウントのみっていうのはなんだか不便だなーと思うのです。
いや、実際問題SNSアカウントがあれば連絡できないわけじゃないのですが、例えばお仕事の相談をしようと思った時に、Facebookメッセンジャーで連絡をとっても、友人になっていないと気づかない人も多々。
それどころか、Twitterにリプっても気づかない人も多い。

まあ、僕が嫌われているだけなのかもしれないのですが、コンタクト情報がない人の名刺って、名刺としての要件を満たしてないよなと思うことが多いのです。
でも、そういう名刺の方からすると、名刺はあくまでもトレーディングカードであって、僕みたいに本名書いてて、携帯電話も本アドレスも自宅住所も載っていて、さらにただシンプルなだけの名刺なんて要らないんだろうなって。
もしかしたら「なにこいつの名刺。くそつまんねー」とか思われているのかと思ったら、なんだか泣けたっす。フリースタイルくらいにまじ泣けたっす。

不思議なほどに、みんな個人情報を隠しているんですよね。
会社員だったりする人もいるから、全てを明かしたくないっていうのも理解はできるんだけど、どうしてみんな一様に似たようなスタイルで、あんなにもコンタクト情報がないのかなと。

んで、まだね、趣味でやっていますっていう人はいいんですけど、お仕事募集していますっていう人でも、連絡先書いてなかったりするんですよね。
メアドもないから、SNSで連絡してこいってことなんでしょうけど、とても高いところにいらっしゃるなと。
人それぞれの考え方があるから、押し付けちゃうのもよくないだろうし、別にSNSで連絡すれば良い話なんですけど、それにしてもそんなに匿名匿名ってしている人と仕事するのちょっと怖いっすよね。
只野係長はもっと怖いっす。

とりま、ホテルは山城。

 

なんかあれだったので、補足しときました。 

torima.hatenablog.jp

 

なんで高校にいかないといけないのかという話

どもども @georgek5555 です。

JKお散歩流行っていましたね。それにしても毎度、ああやってJKビジネスを考えつく人ような思考を持っている人の中で、脳みその有効活用しようとした人が猫カフェとかを考えついたのかなとかたまに思います。誰かから怒られそうですね。

僕は高校を1年遅れて入学していまして、いわゆる中学浪人というのをしたのですが、なぜ1年遅れて行ったかみたいな細かい話は置いておくとして、当時高校なんてもう行かなくていいでしょという風に考えていました。

義務教育は法律上仕方ないとして、ある程度の読み書き算盤が出来るようになって、法律的にも働けるようになって、なんだったら女子は結婚だって出来る年齢だし、高校が義務教育じゃないってことは、高校になんか行かなくても全然いいよねって最終的に思って、浪人はしないと最初言ってました。
それまでは割りと何でも「好きなようにしたらいい」と言っていた親も、家族会議を開いてまで「高校は行っておけ」と言われ、最後の方では「最後の親孝行と思っていいから行け」とまで言われ、ある種しぶしぶ高校受験をもう一回することにし、入学するにいたったわけです。 最終的には、そのあと大学まで進学(中退)したわけですが、それまでどんなことに対しても「なぜそうなるの?」という僕の疑問に何でも答えてきた親父が、はじめて「オトナになったら解る」と言ったことのような気がします。
うちの親父は「そうなってんだから、そうなんだよ」ということを言わない人で、例えば僕が中学の時とかに、数学で公式をただ覚えることに疑問を感じていて、数学の教師に「この公式だと、どうしてそういう答えになるんですか?」と聞いたところで「説明すると長いし、難しいから、とりあえずお前らは公式を覚えたらいいんだ」といった回答をされたことに納得がいってなくて、たしか二次関数だったと思うんですが、親父に「なぜこの公式になるのか?」と聴いたら、ものの10分くらいで公式の成り立ちを説明してくれたことを覚えています。
周りのオトナが「そうだから、そうなんだよ!クソガキが」と言っていることでも、必ず納得いくまでアンサーを出し続けてくれていた親父が、はじめてに近いくらい「オトナになれば解る」と言ったことでした。

とりあえずしぶしぶ高校に行って、授業はまともに受けずに、音楽と恋に明け暮れ、ある日突然大学に行く気になり、大学に行ってみたいなことになるんですが、高校時代に大好きだったあの子元気にしていますかね。今考えてもとにかく美少女だったと思います。思い出補正はかかってないと思います。

んで、今例えば僕と同じような子が僕に「なぜ高校に行かないといけないのか?」と言われた時に、僕は「わかんね」と答えちゃうと思います。
オトナになれば解ると言われたことでしたが、今ある程度の年齢になりましたが、それでも今でもその明確な理由がわかりません。
確かに、いざ大学に行きたいと思った時は、高卒認定を取らないといけないし、周りが高卒ばかりの中にいると自分だけ高校に行っていないことに負い目を感じたりとか、就職どころかアルバイトすら難しくなったりだとか、そもそも高卒でも望んだところに就職が出来ないかもしれないことがある中で中卒というのは遥かに大変だし、高校時代に経験したあれこれが今にいきていることはたくさんあるし、行ってよかったか悪かったかといえば、別に悪かったとまでは思わないかなというぐらいです。
あえて高校行かなきゃ良かったかもと思うのは、当時田舎にいた僕は高校に行かずに東京に来て、音楽の修行でもしようと思っていたのですが、もしかしたらそうしてたらまた違った人生があったかもなってくらいです。
そんなもん、やってないから分かんないし、もうあの時の僕には戻れません。

んで、元の話にもどると、オトナになればわかると言われていたことでも、やっぱりわからないことだらけなんですよね。
例えば、かわいい女の子のジューシーな太ももを見てたらムラムラするとか、しばらく女性とベッドを共にしてなかったら無性にやりたくなるとか、酒が飲みたいとか「あぁ恋がしたい…誰かいないかな…」とか、そういった感情は、なんとなくオトナになってから徐々に強くなっていくというのは、説明がなかなか難しいことなのかもしれないけど、なぜ高校に行かなきゃいけないのかは、やっぱりもって未だにわかりません。

きっと、周りのオトナたちもそうだったのかな。なんとなくはわかっているし、さっきあげたような理由がいっぱいあるけど、それはことごとく論破できるようなことで、例えばサバンナの奥地で狩りをして生きていくなら、高校なんて行かなくてもいいじゃんってことになるし、やっぱり答がないんだなって。

僕はある日、その当時働いていた携帯ショップの仕事をやめて、突如1年ぐらい鳶職をやっていたことがあったんですが、その時は周りに中卒の人がいっぱいいました。実際に中学卒業したてという仲間もいて、高校に行かなくても生きていくことはできるというのはすごくよく感じたんですよね。

ただ、ひとつ言えることとすれば、選択肢が少しだけ狭まったかもしれないということ。
高校に行かずにサバンナの奥地で修行したほうが、狩人としてはより早く一人前になれると思います。あずさ2号に乗らなくても、そのほうが速いでしょうし。
けれど、そうした高校に行かないほうが有利かもしれないという仕事や生活以外は、むしろ高校に行っておいた方が、その後の選択肢が拡がるんだと思います。
たしか、そういえばそんなこと、あの時親父が言ってたか。やっぱりそれ以上の答はわかんないな。

なんで、高校に行かなきゃいけないのか、いまそんな悩みを持っている子に質問をぶつけられたら、僕はなんて答えるのだろう。
「いいから、行っとけ」とは言いたくない。
もし言えるとしたら「制服JKと合法的に過ごせる時間はあと残り僅かだと思っておけ!もしそれを逃したら教師になるしかないが、そんな気持ちで教師になったらとんでもない人間になるぞ」ぐらいでしょうか。

とりま、もう少しあの時の僕の質問にちゃんと答えられるように早くオトナになりたい。

絶対にパンチラしそうなのにしないやつは最強だという話

どもども @georgek5555 です。

 

もはやタイトルが下げになっているような感じなのですが、以前もそういえばパンチラに関した話しをしたことがありました。

 

torima.hatenablog.jp

 あ、これ貼り付けて分かりましたが、関東が梅雨入りした時に書いたんですね。なんだろ、雨が降るとパンチラについて熱くかたりたくなるのかな。不思議なものです。

 

この時もたしか語っているのですがパンチラというのは、パンツが見えるまでの直前がよいという話で、パンツが見えてしまったらそこからは賢者モードなんですよというのは、結構なみなさんが同意してくれました。

んで、中でもいちばん最強だなーと思うのは、歩く度にふわっふわっとなる、JKの制服のようなフレアスカートで、もう絶対この先、階段のぼったらパンチラするよね?絶対するよね?っておもうぐらいの短い丈のミニスカで、やっぱりパンチラするの?しないの?どっち?あー!いまふわっとなった!これはもう見えてしまうーーーーーー!!ってなって、ぎりっぎりのところで結局パンチラしないあれです。

あれが一番最強だと思っています。

中でも、カバンとかで押さえつけたり、手で一生懸命パンチラしないように抑えたりするのではなく、まったくもって無防備だし、ふわっふわってしているのに、絶対にパンチラしない超ミニスカのやつ。あれまじで最強です。なにかしらの金メダルを授与できるチャンスがあるなら、すぐさま首にかけたいぐらいです。

たまに「手で抑えるくらいならミニスカはくなよ」とかいう人いますが、僕はむしろパンツ見せちゃうくらいなら手で抑えていただいた方がいいですとは思っています。

前述した通り、見えてしまっては賢者モードに突入しちゃうので、胸のどきどきわくわくが一気に冷めてしまうんですよね。だったらやっぱり抑えていただいたほうがいいんですが、ただ、抑えてしまうと「見えるの?見えないの?どっち?!」っていうワクワク感がなくなっちゃうので、やはり最強は無防備なように見えて、ありとあらゆる角度からの検証を終えた、なぞにパンチラしない最強ミニスカだと思っています。

んで、ちょっと話が脱線すると、これはまた別で話そうかと思っていたことなのですが、おそらくこれも結構賛同していただけるかとは思うのですが、パンツが見えても全くもってエロスを感じないのですが、超短いショートパンツありますよね?あれで、たまにお尻と足の境目にある、僕が通称「イの字」と呼んでいる部分が見えるのは、いくらみても最高です。

わかりますか?カタカナのイのようになっている部分です。

あれは、いくら見えても賢者モードに突入しません。

パンツ見えたら賢者モードですが、イの字からは目が離せないわけです。

これわかってくれますかね?

いや、どうでもいいことですね。

やっぱり雨のせいなのかな。

とりま、ラッパーがパンチラインって言う度に、パンチラが頭に浮かぶくらいには童貞です。

ダメな人が超デキる人になる手法はハイパーためになるという話

どもども @georgek5555 です。

たまに、この人本当に綺麗だなと思う女性と握手すると、雪見だいふくなの?ってくらいもっちもちで柔らかいことがあるのですが、思わず手を離すのを忘れそうになるくらい魅了されるのは、致し方ないことだと理解してください。

かつて営業マンをしていた時や、水商売で働いていた時に、色々な「デキる人」のメソッドを目の当たりにしてきたのですが、その中でも特にそういった人たちが口々にいう「僕は◯◯が苦手なので、こうしないと出来ないんです」というメソッドが一番の最強の営業手法だなと思うことが多々あります。

代表的なのが、名刺交換したり連絡先交換した後に、いわゆるお礼メールを送るタイミングです。

僕が一番すごいなと思った人の1人は、例えば会ったその日に一緒に会食をして、そのままお酒も飲んで相手側が先に退出した後、入り口まで見送って「今日はありがとうございました」とお辞儀をして、まだ一緒にいる人の席に戻ったあと、30分くらいしてから一緒にいる人がお手洗いのために席に立った直後に、さっき会った人にすぐお礼メールを送っているのを見た時でした。
たまたまそれをお手洗いからすぐ戻ってきた人が見つけて「ほんと、できる人はなんでもはやいなー」と言っていると「僕、こうしてすぐ送らないと忘れちゃって送らなかったりするので、こうしてすぐ送っちゃうんですよ」なんて言った後に「あっちも速いですけどね笑」なんて会話で締めくくっていました。
これまでも同様な会話を聞いていたのですが、この時に「その人が苦手だけど、克服した方法というのは、他の人にもかなり使えるんだ」と当たり前のことですが気づいたのです。

お礼メールは、たとえば夜に名刺交換したら翌日の午前中に送ったり、昼間あったら会社に戻ってきて送るなんていうのが、割りと速い人のメソッドでしょう。
それが当たり前に出来る人は、いわゆる「デキる人」だと思います。
デキる人でない場合は、もう12〜24時間ぐらい遅れてお礼メールを送ったりします。
そして出来ない人は全くもってお礼メール自体送らなかったりします。

ここでもう一度さっきの超速いお礼メールを送る人の話に戻ると、この人が自身が仰るように本当に、お礼メールを送るのをついつい忘れてしまうようなタイプだったとすると、さっきの流れからいくと最下層の「デキない人」になってしまいます。
ところが、この人は苦手だからこそ、すぐに送るという手法に切り替えたことで、一般的なデキる人をはるかにこえる「超デキる人」になったわけです。
つまり、本来なら5段階評価では「1」だった人が「4」の人を越えて「5」なったということです。

これって当たり前のことのようですごい発見なんですよね。
つまり、こうした何かが苦手だと思ったら、普通にデキる人の真似をするんじゃなくて、さらに「超デキる人」になっちゃえばいいんだということ。

例えば営業マンをしてた頃のデキる上司のほとんどが、誰よりも早く会社に来ていました。
そして彼らと話しをして多かったのが「俺、朝が苦手で、頭がぼーっとしちゃうから、他の人より早く仕事を始めないと、朝が得意な人と同じタイミングで頭がフル回転しない」といった内容でした。
実は僕もこれを実践している時代がありました、なぜなら僕も本来は朝が苦手だから。
実際にやってみると、彼らが言っているのと同じようにとても効率がよく、さらに周りから見れば誰よりも早く来ている超デキる人というイメージになってよいことづくめでした。

つまり、苦手を克服するためには、ただデキる人を真似するんじゃなくて、超デキる人になるための方法を編み出すのが一番いいということ。

少しずつデキるに近づけるんじゃなくて、こういう足かせやルールを儲けることで超デキるに一気になるというのが一番いいんだなと。
こうした「◯◯が苦手だったから◯◯した」という技を集めていくと、超超超デキるハイパー仕事人になれるんじゃないかなと、そんなことをいつも思っています。

とりま、雪見だいふく美味しいですね。

リーマンショックなブログという話

どもども @georgek5555 です。

なんだかサラリーマンブロガーがわなわなと震えるブログ記事が盛り上がっているようですね。

それに対して、サラリーマンブロガーの方が反論記事を書いたり、もうこれで通算何回目かな?という宮﨑駿監督の引退発言ばりな繰り返し記事なので、その時に書いた記事なんかを再度投下したりとか、はては「RTするな!引用するな!やつの思う壺だ!」みたいな発言まで飛び交っていて、いやはや相変わらず人気が高いかたなだーなと思っている次第です。

彼の方は、以前から「同じことを何度書いたっていいんです」と言っておりまして、前日とかにもそのような内容のものを投下していたので、ある意味伏線だったんだなと、火曜10時ぐらいのサスペンスチックな連続テレビドラマのような伏線バリバリ感を感じました。アンフェアですね。

いや、アンフェアというのはドラマのタイトルであって、決して彼の方がアンフェアだと言ってるのではないですよ。アンフェアなのは誰だ?

さて、僕は以前からですが、サラリーマンのブログは面白いと思っておりまして、プロブロガーの記事が糞面白くないとかそういう話でなく、どっちも十分に面白いですよということです。個人的にはサラリーマンのどうしようもない毎日を切り取った日記みたいなブログ大好きですけどね。

ただ、彼の方が言っているのも実はわからなくもなくてですね、怒っている方々は多分読み解き方が違うんだろーなーと。
彼の方が言っているのは、プロブロガーを目指している人のブログとして、見た時にサラリーマンのブログなんてくそつまんねーよって言ってるんじゃなかろうかと。
例えば、プロの音楽家や小説家を目指している人がいて、それはもう食っていけるようになるまでは時間がかかりますから、アルバイトなりサラリーマンなりをするのですが、専業でやっている人と比較すると、その質が違うというのがあります。
今やテクノロジーが発達して、その差もなくなってきてますし、サラリーマンだからつまんないということもなくて、過去にはJRの職員やっている人が出した曲が大ヒットしたり、銀行の職員している人が大作家になったりなんてことも全然ありました。
しかし、それはほんの一握りで、プロになるのもほんの一握りなんですが、それなりの意気込みがないと、専業でやっている人にはかなわないし、ずば抜けた才能がないと勝てないよということなのかなと。

サラリーマンやりながらでもトップブロガーになった方は数多くいますし、今でも現役でサラリーマンをやりながらもトップもトップ、トップ中のトップのブロガーもいます。どこかで髪の毛ちょきちょき切りながら面白いブログ書いている人とか、眼鏡がトレードマークの人も現役のサラリーマンだし、ごりらみたいな人もかつてはサラリーマンでしたしね。他にもたっぷりと世の中には売れているサラリーマンブロガーはいっぱいいます。

んで、まあ、なんというか、別に、放っておいて、いいんじゃ、ないかなと。
どう思うかは人の勝手ですし、プロとして専業としてやっているという人間が「サラリーマンやりながらみたいな副業野郎に専業の俺が負けるわけねーだろ。理由はこうだ!どうだ!」みたいな話であって、それはそれで大変な努力をしているわけですから、一緒にされるのがいやだというのも納得ですよね。

例のリーマンショックな記事を面白いと思えばRTすればいいし、むかついたら引用して記事を書けばいいし、別にPVを増やしたところでこちらサイドには被害がないわけで、それをいちいち「引用するな!RTするな!PV増やすな!」と目くじら立ててる方がどうかと思うくらいです。PV増えても別によくない?人間の時間が有限だからパイを渡したくないの?だったら読まなくていいぐらい面白いこといっぱい書けばよくない?とかも思うわけです。

サラリーマンを経験してきていますが、僕はサラリーマンに向いてないし、サラリーマンは嫌味ではなく本当にすげーと思うことがいっぱいあります。
サラリーマンにしか書けないブログだっていっぱいある。別にみんな好きに書こうぜよ。

とりま、散々煽っておいて言及記事の引用がないっていうね。

とりあえず身内ウケさせとけばいいんじゃないという話

どもども @georgek5555 です。

友人・知人に向けてジョークを飛ばしたところで、全くウケなかったのに、それをたまたま拾った見知らぬ人が「あんちゃん、おもろいな」と肩を組んできて、気づいたら身ぐるみ剥がされていたなんて経験、きっと誰もないと思います。僕も無いです。

さて、ブログをしばらくやっていると、いわゆるブログ仲間みたいなのが出来てきて、お友達同士ではてブつけあったり、お友達同士で拡散しあったり、お友達同士で「やべ!さいこう!」とか言い合ったりなんてことよくあるのですが、僕のこのブログも当初は完全身内向けに書いていたのもあって、気づけば身内ウケしかしなさそうなネタオンパレードだったことがあります。いや、今も大して変わりません。

これは、ブログだけに限らず、Twitterのようにある日突然ツイッタラーとして有名人を排出してしまう可能性を秘めているようなツールでも然りでして、流れ的には最初は不特定多数に向けて当たり障りの無い文章を書く人が多いのですが、そこから徐々に見てくれる仲間が出てくると、そこに向けて身内しかウケないようなつまんない話や切り口を投下するようになります。
不特定多数の誰が読むか分からない、つまり読者層が掴めない頃の文章に比べて、実はそうした「身内ウケ」を狙った文章というのは、ある特定の層をターゲットにした明確な読者層が見える文章なので、最初の頃にくらべると、ずいぶんと文章が面白くなっているものです。
しかし、不特定多数向けではなく、コアターゲットに向けた文章であるがゆえに、全く知らない人が観た時には「つまんねーな。なんだこの身内ウケ」っていうのは当然おきるべき自体なのですが、身内ウケをしはじめた頃というのは、そういった雑音がむしろ「めんどくせ」となるので、別に気にはしなくなるものです。
前述したように、ここまではとりあえず、文章のエッヂが立ち始めているわけで、面白いのですが、ある日突然そうした人の記事が何かしらのキッカケでバズったりした時に「なんだこの糞つまんねー身内ウケ記事は!」という声の量が大きくなって、傷つかなくてもいいガラスのハートが粉々に砕け散るということは意外にも毎日どこかで起きているものです。

ブログなどを始めた当初というのは、それなりに誰か有名人の影響などを受けているものですから、どうしてもそうした人たちの語り口みたいなのを模倣してしまいます。有名人の人たちはそれはもう、ファンも多いし、例えばダンディ坂野が「ダッ!」と言ったら、あんまり知らない世代でも「ゲッツだろ!」とツッコミをいれるくらい、知って当然だよね?とう大前提で色々かけるものです。
しかし、大して有名でない人がそれをやると、いわゆる身内ウケという状態になるので、知らない人からしたらつまらなく映るのは仕方ないことなのだと思います。

僕は身内ウケの最強コンテンツは、いわゆる女子校生だと思っています。
JKですね、JK。ジャミロクワイのボーカルじゃないですよ。いや、そんなこと思ってないですね。
Jkは、5人くらい集まると「うちら最強」という、ブースト状態になりますが、彼女たちはいつも身内ウケで毎日盛り上がっています。
ギャル語みたいなものは、その最たるものではないかと考えています。だって「チョベリバ」という言葉がかつて流行りましたが、それもきっと誰かが「ちょべりばー」とか言って「なに?それwまじ意味わかんねーw」「ちょーべりーばっどだから、ちょべりばー」「うけるーwwじゃあ担任はまじちょべりばだね」「まじアイコ最強におもしろいんだけどー」「クラブいこーよ!」→クラブへ→「ねーねー一緒おどんね?」「は?うちらナンパとかまじいらねーんだけど、ちょべりば」「は?チョベリバってなに?」「ちょーべりーばっど。あんたみたいなやつのこと言うんだよね」「まじお前おもれーな。俺ユウジ、君名前は?」「アイコ。つか、まじうざいから消えてよ」「いいじゃんいいじゃん、おどろうぜ」そして、ユウジはアイコの前でジャマイカ仕込みの華麗なステップを魅せつける。実はユウジはそこいらのクラブでは知らないやつがいないほどの有名なダンサーだったのだ。「あんたやんじゃん」「さんきゅ。ダンスはチョベリバじゃないっしょ?」「まじあんた使うの早すぎ」そして、ユウジへと伝播したチョベリバは、やがて渋谷中に広がり、流行語へとなった…きっとこんな感じ。

というわけで、身内ウケで盛り上がっているものが、やがて流行語になっていくのがJKの特徴だったりします。
しかし、それをそこいらのパンピーさんがやったところで「身内ウケつまんねー」という声の方が大きく、結局のところパンピーさんもそのまま身内ウケが加速していくか、世間にすり寄ろうとしてまたどこに向けて書いているのかわからなくなっていき、そしていつの間にか書かなくなっていくのはよくあるケースです。

身内ウケ、たしかにつまんないでしょう。けど、前述したように、どこに向けて誰に見て欲しいかという文章は、きっと誰に向けて書いているのかよくわからない文章に比べて格段と色が濃く、味わいが深いものです。
「これ面白いべ?www」と自画自賛するのは、確かにつまんなくなる原因ですが、どこに向けて書いているのかというのが明確であることはすごく大事なことなので、有名人になりたくて書いているという人以外は、特に気にせずに身内ウケを狙った記事を量産しているほうが、きっと楽しいはずです。
書くのやめちゃうくらいなら、とりあえず身内ウケさせとけばいいと思うという話です。

ただ、有名になりたいというのであれば、それはまた別の話ですが。
とりあえず、はてぶつけあっておけばいいんじゃないんですかね。

とりま、これ誰に向けて書いているのか全くわかんないっす。

バズらせることがブログの使命ではないという話

どもども @georgek5555 です。


昨日、ふらっとスマートニュースのカンファレンスに行ってきたのですが、懇親会に出ていたローストポークが美味しすぎて最初様子見していたのですが、補充ようのストックが大量にあることに気づいてずっとロースポークを食べまくっていました。

さて、あまり公には言ってないのですが、実は月に2,3回はこうしたブログやメディア関連のイベントに足を運んで、稚拙な僕のいんたーねっつを少しでも良くしようと勉強したりしています。
昨日行われたスマニューのカンファレンスでは、先日から始まったオピニオンチャンネルに関することを話すという看板ではありますが、主にはブロガーさん向けに、今後日本の個人ブログなどがどういった進化を遂げていくことが大事なのかといった感じに近いトークがされていました。
スマニューといえば、説明は不要で今やウェブメディアをはじめとして、バズらせるならスマニュー入りって感じで、ネットでPVを集める大きな手段となっていますよね。
以前媒体資料を拝見したことはあったのですが、少しアップデートされていて、この日は媒体資料でパッと説明をしていたのですが、主な利用者層などを改めてみると、色々なことが透けてみえて非常に面白かったです。
この日は、ブログシステムを提供している会社の担当者さんが集結していまして、このはてなブログの担当者さんも来られていましたが、中でも古くから運営しているブログシステムの会社さんの生の声が聞けたのは非常に面白かったですね。
どちらかというとブロガーというよりは、メディア事業者の方が聞いたほうがためになったんじゃないかという話がかなり散見されていたのですが、それはそれでおいておくとして、この日はどうやったらバズを生み出せるのか?といったことに繋がりそうなお話がちょいちょいありました。

いくつかのメディアで相談員的なお仕事をしていたりするのですが、最近は専属のライターさんも、元々はブロガーですという方も多く、自分なりに運営してきたメソッドがあるので、実際にライティングをするときにもそれなりの我が出てきます。
それは、いわゆる個性にもつながるお話なので、どうバランス良く個性を活かしつつ、媒体にあった誌面に仕上げるのかというのが編集側にとっては大変なところだと思います。
編集者とライターとの関係性についてはまた話そうかなと思っているので、今日はやめにしとくのですが、この日はブロガーさん向けに特に声を大きくしていたアドバイスのひとつが「タイトルとサムネ工夫しましょう」というものでした。

これは、何かしらのメディアで書いている人や編集の方なら当然意識していることでしょうが、もちろんブロガーさんであっても意識していないわけではありません。
しかし、スマニューのようなプロのメディアと一緒にキュレーションされるようなところでは、どうしてもそこの差が出てきます。
個人ブログのタイトルの付け方と、ニュースメディアなどのタイトルの付け方は根本的なところで差があるのですが、あまりニュースメディアに擦り寄っても個人ブログの良さが出てきません。
それどころか、仕事としてプロとして、そしてニュースメディアとしてやっているところに勝負を挑んでも、なかなかうまく行かないこともおおいでしょう。
そう考えると、ブロガーさんたちのタイトルの付け方は、個性を活かしたものであればあるほど良いのではないかと僕も思っております。
ただし、スマニューに入ってクリックされるようになるには、いくら個性を活かしてもそのままでは駄目なタイトルがかなり多い。
具体的にどうしたらいいのかというのは、色々なものをみてもらうといいですし、美味しいローストポークでも食べさせてくれたら、それなりのアドバイスはできるのですが、果たしてバズらせることだけがブログの使命なのでしょうか?

僕のこのブログはむしろ、バズらせることなんてどうでもよくて、ある意味対局にあります。
もしバズを意識するなら、もう少しタイトルも練るべきでしょう。なんせこのブログはいつもタイトルから書き始めているので、練ってんかいませんし。
本文も、より読みやすいように遂行すべきだし、なんなら書く前に2,3分でもいいからプロットを書き出して、読みやすい文章にするように構成を考えるべきだし、画像ももっとおいてSEOを意識し、クリッカブルなサムネをおくべきだと思います。

しかし、まあ全くそんなことやってませんから、たまーにバズりますが、バズるはずがないんですよね。
でも、それでいいんですよね。

ある程度ブログをやっていると、最初からプロブロガーを目指している人以外でも、徐々にPVが増えていって「もっとみられたい!」という欲が出てきます。
例の薬の常用がやめられなくなるイラストみたいな状態ですが、徐々にPVを意識してやめられなくなります。
けれど、バズることで好きなことが書けなくなるという人もいるでしょう。
バズらせたいと考えている時は、気づかないのですが、ふとある程度人に読まれてくると、過去に書いた「もうまぢで◯◯との関係やめにしょ。会ってご飯たべてベッドいって、んでシテ朝になったら帰る。わたしなんなんだろ…」みたいなのを消さなきゃいけないとか思うようになったりするわけです。
んで、仮にそれを消したとして、今度は「はぁ〜愚痴書きたいけど、書くとこねーな」ってなって、いわゆるサブブログを始めることになるわけです。
んで、サブブログを始めたはいいけど、メインブログの方で読まれることを意識したブログをやっているものですから、ついついサブブログでも人に読まれたいという欲求がわきおこって、またサブサブブログをつくらないといけない自体になっていく
それはそれでいいんですけど、そもそもブログの使命ってPV稼ぐだけなんかな?というところですね。

別にブログの月間PVが5でもいいですし、月間5PVだからって、あなたのブログが存在しちゃだめなわけじゃないし、あなたの人生が魅力ないわけでもない。
けれど「ブログなんて承認欲求でしょうがー子どもがまだ食べてるでしょうがー」って怒り出す人もいそうですが、承認欲求をみたすのがPVだとしても、バズらせるために窮屈になって本末転倒になることだってあるんじゃないの?とは思うんですよね。

タイトルの付け方は、もっと上手くみなさんなるでしょうが、けれど「あー狙ってんな」っていうタイトルや、いかにも「個性を活かしてるでしょ?」って風だけど、どこかの誰かに影響うけたんだなーっていうのが透けてみえるブログタイトルが、PVを狙ったためだけにつけられたものだとしたら、もしかしたらすげーつまんねーなーって思われている可能性もあるということを少しだけ言おうとおもったら、こんなに冗長になったわけです。

とりま、最後にパンがあればバズると聞いたので、昨日出されていた、例の手作りパンを置いておきます。

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書きたいと思う衝動に突き動かされないとつまんないという話

どもども @georgek5555 です。

このブログは、基本的にお湯がそこそこいい温度にならないと書かないことにしているのですが、ブログを色々やっていると、ニュース系以外は基本的に毎日書けないこともあったりします。
書くのが大好きなので、どれだけ書いていても、書き足らないですし、書くネタはそれこそいくらでもあると思うんですが、たまにアクセスとかがあると「よっし!この流れにのって記事投下するぞ!」ってなるのは、結構いろんな人が経験していることだと思うんですよね。

よくあるブログの運営術みたいなのにも、何かの記事がヒットしたらそれに関連する記事を最低でも1、2個投下しましょーとか、なんだったらそれでどんどん関連記事つくってそれの専門として名を馳せましょーみたいなのとかよくみます。
僕も何かしらのアクセスがあると、補足的に記事を追加投入することもしばし。
とはいえ、本来なら1つの記事で全てを言い切っているのが一番理想なわけで、追記的なものなんてお恥ずかしかったりはするのですが、そこはもうなんというか、世間話に近い感じですよね。
「あれ?みんなこの話興味あったの?じゃあこんな話もあるんだけど」に近いのでしょうか。

んで、これって結局書きたい衝動が湧き上がったからこその追加投入だと思うんですよね。
普段書いているものであっても、心の奥底では書きたいと思っているネタだったりするから、それを引っ張りだしてきて書くんだと思うんですが、「書かなきゃ」ってなりすぎると、その欲情に水をぶっかけたかのように、まったくもって書きたいという発作が収まってしまうんです。

んで、そういった時に書いた記事ってほんとつまんないものが多くて、ああ、記事って書くと怒る人がいるから、エントリーね。エントリー。
サントリーはトートバックね。

とはいえ、書く気がおきるまで放っておくと、小さな火種は酸素不足で結局消えてしまったりします。

じゃあどうすりゃいいの?

ってなる人がたまにいるんですけど、もうそんなの消しとけよと。
毎日更新したりとか、いわゆるぷろろろぶろがーみたいなのを目指している人は、それをどうにかするヒントをおくんなさいましって思うのかもしれませんが、もしそれをどうにかしたいと思ったなら、もうね脊髄反射のように何か書きたいことが浮かんだら、殴り書きだろうがなんだろうが書いちゃえばいいんじゃないですかね。
んで、それを下書きにしといたら、多分書いたことで満足して、一生ひっぱりださないから、公開すりゃいんだと思います。

このとりま風呂はそんな風に、書いたら推敲もしないし、誤字とかがあっても余程読めない間違いじゃないかぎりはそのまんまにしていて、それはなんというか書きたいことを書きたいだけ思った時に吐き出すと決めているからなんですよね。

あれ、冒頭と言っていることちゃうな。

まあ、それは置いておくとして。
ただ、とはいえ、思ったことをそのまま、すぐに書いて公開してたら、ブランディング?的に色々と損することも多いとは思います。
なので、それに反しないように、ある程度のルールを決めとくといいんじゃないですかね。

例えば、下書きにしたら6時間に必ず公開とか、書いたら30分置いてもう一度読みなおしてから公開とか、NGワードをきめておくとか。

メディア運用と同じやりかたでしょうね。

なんか、そんなことをふと思ったのが、これ書いている時で、タイトルと全く関係ない話になりましたね。
書きたいと思ったから今書いているのですが、そもそも僕の文章が面白いかといえばそうでもないと思います。

とりま自虐って一番つまんないですね。