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とりま風呂

とりあえずまあ、はてブロでも。略して『とりま風呂』 by 常時系

完璧主義者は大きくわけて2タイプいるという話

どうも @georgek5555 です。

何かと嫌煙されてしまいがちな『完璧主義者』という存在。

人間のことを一括りにしたがるのは、何もこれに限った話じゃないのですが、どうしても以前から『完璧主義者』というのを一括りにしていることに、なんというか声をあげたかったのもあって、ふと書きだしたわけです。

完璧主義者と呼ばれるタイプには、大きわけて2つの種類があると思います。実はこの2つが同じようで全く違うからこそ、完璧主義者というのが誤解されやすく、嫌われがちなのではないかと時折思います。

完璧主義者には、最初からある程度のゴールが明確に見えていて、そこに向けて進むディレクタータイプと、ゴールはあまりよく見えていないがやりながらゴールを探していくプレイヤータイプの2つがいます。

便宜上、ディレクターとプレイヤーと呼びましたが、実際にディレクターとプレイヤーの役割がそうだというわけではないのであしからず。

んで、まずディレクタータイプというのは、最初からある程度のゴールでの形がが見えているので、そこに向けてどういうプロセスを踏むべきかが明確に判断しやすいというのがあります。

今の段階だと、これくらいやっていないといけないなという進捗管理なども、本人の中に見えているので、様々なゴールに向けて明確なビジョンを持ってすすめることができます。
特に闇雲にやってきたけど、全くもってどうやったらいいかわからないといった時に、こういう人物をリーダーに据えると、明確なビジョンをすぐに見つけることができるので重宝します。

ただし、ビジョンが見えている分「別にそこまでやらなくても」といった声や、進捗が進んでいないことへのいらだち、完成するまで何故彼がそこまで躍起になっていたかなどが分からないため、周りからすると「完璧主義者だよねw」と煙たがられることになります。

一方、プレイヤータイプの人というのは、遠いゴールに関しては正直あまりビジョンがありません。どちらかというと、ある程度手がとどく範囲のことしか明確なビジョンが見えないため「やりながら模索する」という、完璧主義者っぽくない雰囲気でことを進めます。ただし、その「やりながら」というのも、実はその人なりの完璧さを求めるところがあり、ディレクタータイプと違い、途中のプロセスの段階での細かい所作などに美学を求めます。
例えば「チームで一丸になってやった」「個々の素晴らしさが光った」「自分があそこで放ったゴールが決まった」といった具合に、ひとつひとつの細かいプロセスでの美学です。

実際のところプレイヤータイプもちゃんと示されたゴールに向かってはいくのですが、最初から明確なビジョンを自分で考えだすのはどちらかというと、そこまで得意ではありません。なので、途中のいわゆるスモールステップでの成功にとても感動を覚えます。
ブロガーなどでいえば「月間10万PV達成」とか「500記事達成しました」などの、数字を伴ったプロセスを喜びます。

ディレクタータイプの場合はとにかく決められたゴールに向かって、現時点でどうすればいいのかというのに集中し、プレイヤータイプは今すべきことに集中する。こう書いてみると、すごく似ているんですが、違うんですよね。

ディレクタータイプの場合は短期勝負に向いています。たとえば1年でこれと決められた結果を出す場合には、途中の曲線が緩やかだろうが急激だろうが、結果最後の着地を目指していきます。つまりKGIに向かって途中失敗しても必ず達成する。

プレイヤータイプの場合は長期勝負に向いています。明確なゴール目標はそこまでないけれど、こういうことやっておけば結果が伴ってくるはずという理論で、ひとつずつを着実にこなしていきます。

ディレクタータイプは料理人や画家などに向いているでしょうか?最初から明確な目標が見えているので、完成に向かってひたすら邁進するのみです。
プレイヤータイプは農家や教師などに向いているかもしれません。途中のプロセスをしっかりとしたものにしておけば、最終結果はきっと良いものになると信じ、淡々と作業をこなすことができます。

この2つは往々にして、自分がやろうとしていることに茶々を入れられたり、否定をされると苛立ちます。そして人から「完璧主義者」と揶揄されて、さらに孤立化することも多いです。

そして、一番の問題はこの2つの完璧主義者は同じ完璧主義者というジャンルにいるにも関わらず、一緒にすると考えが違うため反発してしまうということ。
完璧主義者属に属していないタイプの人からすれば、完璧主義者同士だから喧嘩するんだとか、完璧主義者同士なのになんで分かり合えないの?とか言いますが、そもそもタイプが違うからです。

ディレクタータイプの人は明確なビジョンを持っているため、ビジョンを持たないプレイヤータイプに苛立ち、プレイヤータイプはビジョンよりもプロセスに美学を感じるため、ディレクタータイプの考えを容認出来なくなります。
例えばプレイヤータイプの人が大切にしているプロセスも、ディレクタータイプの人からすれば無駄に思えることがあります。それはゴールを目指す上で不要なことだと考えてしまうことだったり、むしろゴールを目指す上で最終的にガンになると考えているため排除しようとするからです。
ところが、プレイヤータイプからしてみれば、そんなゴールよりも今の日々の進捗が大切なため、そうしたディレクタータイプに対して憤りを覚え、衝突します。
これが、完璧主義者のタイプ別同士がぶつかるシーンでよく観られるパターンです。

しかし、前述するようにこの2つのタイプの人間にはそれぞれ得手不得手があり、遠い未来に明確なビジョンを見いだせるディレクタータイプと、目の前の小さなプロセスに的確に向き合えるプレイヤータイプの2つのタイプをうまく使いこなせれば、それこそ仕事がはかどります。
これを使えるのがプロデューサータイプの人。

とにかくプレイヤータイプの人はサッカーなら、当然選手だし、ディレクタータイプなら監督でしょう。
選手はその試合を勝つことが大事だし、1点とられたら取り返すことが大事。
監督は、例えば今日負けたとしても、この編成ならどういう風になるのか、この相手のチームならどうなるのかを見極めることが良かったとかんがえる事ができるから。

そしてそれをGMとしてチーム運営させていく人がプロデューサーにいれば完璧です。

とまあ、なんとなく何が言いたいか分からない感じでここまで来たという人もいるでしょうが、完璧主義者と一括りにするのは大きく間違っているということが言いたかっただけで、実際には2タイプどころかもっと細かく分類されるはずで、とにかく「完璧主義者だ!ぷぎゃーーー!!」って指差すのはやめなさいって話です。うまく使えば彼らはきっと良い結果を残してくれるはずです。

ちなみに僕もよく『完璧主義者』だとゆびさされるのですが、その割にはこんな駄文を垂れ流しているわけで。

とりま、今日眠たい。