「やったことがある人」の反論ほど実はどうしようもないこともあるという話
どもども @georgek5555 です。
先ほど、いんたーねっつを開いたら、友人の一人がどうもここ最近の鬱積をブログにしたためていまして、内容としては彼が安定を捨てて新しい世界に飛び出そうとしていることに大して、周りから「やめておけ」というおせっかいをされたということらしいです。
彼はその中でとある著書のタイトルで『わたしはわたし。そのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っておいて。』というのを座右の銘にしているらしく、特に今回周りから言われたことで一番めんどくせって思っているのは、そもそも自分がやろうとしていることにアドバイスをする人の大半が「やったことも無い人」からのものだということ。
つまり、やってもないうちから、あーだこーだ文句言うんじゃないよ。やったこともないくせに!ってやつですね。
しかし、僕はこれ結構陥りやすい良くない考えだと思っています。
というのも、やったことがある人の反論こそ、実はどうしようもないことが結構多いと思っているからです。
確かに、経験者のアドバイスやノウハウというのは、自分が実際経験する前にある程度のことを知ることが出来て、ある意味余計な勉強をしなくて良い分近道に思われることも多いのですが、それはそれとして聞くレベルにしておかないと、特に何か新しいことをしようとしているときは余計な雑音になりかねないと思っているからです。
例えばそれが大きく成功した人のアドバイスであれば、それはそれはとても参考になることも多いのですが、それをそのまま鵜呑みにしたところで、とどのつまり冒頭に彼が書いている「わたしはわたし。」なのです。
結局は実行に移す人が変われば、やり方も変わってくるわけで、それをそのままトレースしたところで、一体そもそも何がやりたくて「わたしはわたし。」と言っていたのかとなりかねないから。
ただし、これは「アドバイス」と言える範疇のものであれば、聞いておいて損はないのですが、経験者の「反論」というのは実にどうしようもないこともあるというのは特に理解して欲しいものです。
経験者というのは、つまり現在ナウで実行しているリアルタイムなものであれば、いいのですが、割りと反論してくる人は過去の経験を元に話をします。
つまり、アップデートされてない古い情報をそのまま押し付けてくることも多い。
もちろん、過去の経験でも非常に有益な情報はたくさんあるのですが、それが全てではないし、むしろそうした過去の情報に囚われすぎては、イノベーションを生み出せないことだってありうるということ。
メモをとれ!メモを!というのは、今でも多くのおっさんが言うのですが、果たして紙で書き記すことがどれほど大切なのでしょうか? 書くことで、脳に記憶されやすいなんていう人もいますが、実際のところ、書くよりも脳で記憶しようと目で覚えた方が記憶に沈着しやすいなんて話もあります。
歯磨きは食べた直後が良いというのもあれば、直後だと酸が出ている状態で実は直後じゃないほうがいいとか、食べる前にするべきだとか、なんというか時代も変われば色々と新しいことも分かるものです。
んで、こうした新しい研究結果って「おっさんらはそう言ってるけど、絶対そうだと思わないんだよね」っていう人たちが、だったら証明しようとして研究したものなのかなんて思うんですよね。
んで、話がだいぶ脱線したんですが、どっちにしても経験者の話というのが良いというわけではないということが言いたいのですが、そもそもの「やったこともないくせに言うな」みたいな考えが実は非常に危ないと思うんです。
僕は割りと頑固者でして、やったことも無い意見には「やったこともないくせに」とよく思うほうでした。ここ数年は「ちょっとまてよ」と脳内で一瞬止めるようにしてきているのですが、「やったことがあるならまだしも」と考えていると、結局「やったことのある人」の意見しか聴けなくなるし、そもそもやったことのある人の意見が結局前述したような過去の遺産でしかないことも多いんです。
成功者・経験者の意見しか聴けないというのは、ある意味自分をイノベーションする可能性を非常に狭める考えで、実は新しい何かを生み出すというのは「やったこともない人」の中に隠れていることも多いと思っています。
しかし、冒頭彼が受けたような「やめておけ」という反論はむしろ経験者だろうか、経験者じゃなかろうがどうでもいいです。ひとつ言えることは「やりたきゃやれ」です。
んで、ここまで書いておいて、いまさらなのですが、僕は冒頭に彼が言っていたようなどっちかというと「おせっかいやき」です。
やったことであろうと、なかろうろ、結構人に「それはどうかなー」「やんないほうがいいかもねー」なんて言っちゃうほうです。
つまり、この文章もおせっかいなものであるわけで、ここまで読ませておいてあれですが「気にしなくていいので、好きなようにやりましょう」ってことになるわけですわ。
とりま、ヤったことのある相手とは、その後友人関係を保てるタイプです。
先ほど、いんたーねっつを開いたら、友人の一人がどうもここ最近の鬱積をブログにしたためていまして、内容としては彼が安定を捨てて新しい世界に飛び出そうとしていることに大して、周りから「やめておけ」というおせっかいをされたということらしいです。
彼はその中でとある著書のタイトルで『わたしはわたし。そのままを受け止めてくれるか、さもなければ放っておいて。』というのを座右の銘にしているらしく、特に今回周りから言われたことで一番めんどくせって思っているのは、そもそも自分がやろうとしていることにアドバイスをする人の大半が「やったことも無い人」からのものだということ。
つまり、やってもないうちから、あーだこーだ文句言うんじゃないよ。やったこともないくせに!ってやつですね。
しかし、僕はこれ結構陥りやすい良くない考えだと思っています。
というのも、やったことがある人の反論こそ、実はどうしようもないことが結構多いと思っているからです。
確かに、経験者のアドバイスやノウハウというのは、自分が実際経験する前にある程度のことを知ることが出来て、ある意味余計な勉強をしなくて良い分近道に思われることも多いのですが、それはそれとして聞くレベルにしておかないと、特に何か新しいことをしようとしているときは余計な雑音になりかねないと思っているからです。
例えばそれが大きく成功した人のアドバイスであれば、それはそれはとても参考になることも多いのですが、それをそのまま鵜呑みにしたところで、とどのつまり冒頭に彼が書いている「わたしはわたし。」なのです。
結局は実行に移す人が変われば、やり方も変わってくるわけで、それをそのままトレースしたところで、一体そもそも何がやりたくて「わたしはわたし。」と言っていたのかとなりかねないから。
ただし、これは「アドバイス」と言える範疇のものであれば、聞いておいて損はないのですが、経験者の「反論」というのは実にどうしようもないこともあるというのは特に理解して欲しいものです。
経験者というのは、つまり現在ナウで実行しているリアルタイムなものであれば、いいのですが、割りと反論してくる人は過去の経験を元に話をします。
つまり、アップデートされてない古い情報をそのまま押し付けてくることも多い。
もちろん、過去の経験でも非常に有益な情報はたくさんあるのですが、それが全てではないし、むしろそうした過去の情報に囚われすぎては、イノベーションを生み出せないことだってありうるということ。
メモをとれ!メモを!というのは、今でも多くのおっさんが言うのですが、果たして紙で書き記すことがどれほど大切なのでしょうか? 書くことで、脳に記憶されやすいなんていう人もいますが、実際のところ、書くよりも脳で記憶しようと目で覚えた方が記憶に沈着しやすいなんて話もあります。
歯磨きは食べた直後が良いというのもあれば、直後だと酸が出ている状態で実は直後じゃないほうがいいとか、食べる前にするべきだとか、なんというか時代も変われば色々と新しいことも分かるものです。
んで、こうした新しい研究結果って「おっさんらはそう言ってるけど、絶対そうだと思わないんだよね」っていう人たちが、だったら証明しようとして研究したものなのかなんて思うんですよね。
んで、話がだいぶ脱線したんですが、どっちにしても経験者の話というのが良いというわけではないということが言いたいのですが、そもそもの「やったこともないくせに言うな」みたいな考えが実は非常に危ないと思うんです。
僕は割りと頑固者でして、やったことも無い意見には「やったこともないくせに」とよく思うほうでした。ここ数年は「ちょっとまてよ」と脳内で一瞬止めるようにしてきているのですが、「やったことがあるならまだしも」と考えていると、結局「やったことのある人」の意見しか聴けなくなるし、そもそもやったことのある人の意見が結局前述したような過去の遺産でしかないことも多いんです。
成功者・経験者の意見しか聴けないというのは、ある意味自分をイノベーションする可能性を非常に狭める考えで、実は新しい何かを生み出すというのは「やったこともない人」の中に隠れていることも多いと思っています。
しかし、冒頭彼が受けたような「やめておけ」という反論はむしろ経験者だろうか、経験者じゃなかろうがどうでもいいです。ひとつ言えることは「やりたきゃやれ」です。
んで、ここまで書いておいて、いまさらなのですが、僕は冒頭に彼が言っていたようなどっちかというと「おせっかいやき」です。
やったことであろうと、なかろうろ、結構人に「それはどうかなー」「やんないほうがいいかもねー」なんて言っちゃうほうです。
つまり、この文章もおせっかいなものであるわけで、ここまで読ませておいてあれですが「気にしなくていいので、好きなようにやりましょう」ってことになるわけですわ。
とりま、ヤったことのある相手とは、その後友人関係を保てるタイプです。