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とりま風呂

とりあえずまあ、はてブロでも。略して『とりま風呂』 by 常時系

触れられないことの苛立ちに愛を見失うという話

どもども @georgek5555 です。

昨晩から今朝にかけてニュースをちらちら見ていたら、長年頑張ってきた某地方の劇場型アイドルさんがグループを卒業するという話をかき消すかのように、味噌汁を英語で歌っちゃう人に、ランキング2位的な女子がわちゃわちゃされたみたいな話が盛り上がっていて、なんだか平和だなーとスマホを握りしめていました。

芸能人の熱愛報道が出るたびに、ファンの人が「ふざけんな!!!CD600枚買ったんだぞ!」とか阿鼻叫喚するのですが、そもそも人々が愛しあうことがどうしてこんなにも悪しきことになってしまうんだろうと、たまに思うことがあります。

確かに芸能人、特にアイドルという存在は、みんなのアイドルである以上、恋愛をしちゃだめだという理論はわかるのですが、愛って素晴らしいじゃないですか。
誰かと誰かが愛し合っているのをみて「爆発しろ!」とか「CD600枚買ったんだぞ!」とかっていうのって、なんだか悲しいなーと思ったりするわけです。

「そうだよね、さすが◯◯。俺の嫁に目をつけるとは、さすがE女を見抜く力あるわー」くらいにならないんだなーと。

そもそも、これはアイドルに限った話じゃなくて、前述した「爆発しろ!」に代表されるように、自分以外の人たちのラブラブ具合に時に人はいらだちを覚えたりするのです。

アイドルもそうだし、よくわかんない彼女と分かれて3日後に新しい彼女出来たとTwitterで報告する場合もそうなんだけど、人というのは触れたいのに触れられないことに対してのフラストレーションのたまり方が半端ないんじゃないかと思い始めました。

特にアイドルに関しては、基本的に触れられない存在。それが、後ろから抱きしめられて、さらにB地区をつまんでんじゃないのか?なんて思ったら「あたしゃ触れられないのに!!!」ってことが怒りになったりするんだろうなと。

そういった意味では、握手会っていうのは上手いことできていますよね。触れられない存在を、触れられる存在へ変えた。
人は触れられないことに苛立ちを感じるが、触れられるとそれはさらに愛を加速させる。

飲み会とかで、隣に座った女の子が、他の人と話ながら、そっと太ももあたりに手を置いてくるあれですね。愛が加速して止まりません。心ごと止まらないMOW!です。

もっと本当はすごくしっとりとした話をする予定で、言いたいこともまとまっていたはずなのですが、1/3も伝わないまま純情な感情は空回りしています。

とりま、懐メロ。