とりま風呂

とりあえずまあ、はてブロでも。略して『とりま風呂』 by 常時系

人生は放屁に学ぶことが多いという話

どうも、 @georgek5555 です。

僕はあまり排泄関連のくだりを書くのがすきじゃないのですが、先日ふと思ったことがあったので、どうしても書きたくなったので、仕事中ですが書いておきます。

人間の整理現象のひとつとして、放屁があります。
もちろん、わたしは放屁なんてしないという人もいるでしょう。
そんな方でも放屁をする人が周囲に1人はいると思います。

生理現象として、放屁はいたしかたないものがあります。
人間は身体にガスが溜まれば、上の口から出すか、下の口から出すかどちらかしか方法がありません。
それを放置しておくと、やがて腸内で吸収されて、血液に溶け込み血中なんちゃらがあれで、身体がおかしくなるなんて話を、以前天才たけし君がやっている病院のなんちゃらで見ました。

まあ、健康云々の話がしたいのではないのですが、今回言いたいのは、放屁をするときの話。

さきほど言ったように、我慢をすることが決してよくない放屁。
とはいえ、多くのそれはあまり好ましい香りがしません。
ですが、密閉された空間であるなら別ですが、外の道端でする分には迷惑になるケースは少ないでしょう。
そのまま空へと舞い上がり、その思いはきっと雲をも突き破ることでしょう。

しかし、放屁をするときに困った問題がその香りだけではなくて、音が伴うこと。
大小様々、音階やリズムも人によって違うことと思います。
出来るだけ自分の身体をサイレンサーとして機能させるべき、極小サウンド、いや可能であれば無音を目指しますが、そうすればするほど思わず大きな音を立ててしまうことがあると思います。そんな時、ふと誰か周りにいないかと後ろを振り返ってしまいませんか?

けれど、ここで振り返ってはいけないのです。

先程も言いましたが、屋外で放屁をする分にはほとんど迷惑をかけずに済みます。それどころか、もし誰かがそこにいた場合でも、それはもう後の祭りで振り返ったところで、どうしようも無いのです。
それで振り返って「いや、わたしじゃありませんよ」って顔をしたところで、振り返ってしまったことで、自分が放屁をしたことを認めたようなものなのです。
つまり「放屁をしたら振り返るな」ということ。

これって、まさしく人生のようなものじゃないですか?
何か失敗をしてしまった時、人はついつい振り返ってしまう。また自分の行為が果たして周りにどう評価されているのか?などついつい周囲を気にしながら進んでしまう。

けれど、ついつち大きな音を立ててしまった放屁のように、やってしまったものをいちいち振り返ったところで何の意味もないし、周りを気にしてしまえば、余計恥ずかしいことになってしまったり、それどころか振り返ったことで前からやってくる危険に気づかずに思わずつまづくこともあるでしょう。
人生は振り返らず、ただまっすぐ前を見据えて一歩ずつ進むことが大切なのです。

また、密閉空間での放屁にも同様のことが言えます。
例えばエレベーターの中での放屁。

これは、多大なる迷惑をかけることが多い。生理現象なので、我慢できずに出てしまった場合、あなたはどうするでしょうか?

この場合は、素直に謝るか、もしくはそのままやり過ごすかです。
これは人生に置いても同じ。自分が悪いと思えば素直に謝ることが良い場合や、それでもそのままやり過ごした方がいい場合と、TPOによって分けられるでしょう。つまり、何かとんでもないミスをした場合は、そこでどう対処するべきか取捨選択を迫られるのです。

また、話を戻してしまいますが、路上においての放屁で大事なのは、立ち止まらないことです。
放屁をするために一瞬立ち止まり、放出してしまうと、仮に大きな音が出た時に周囲に放屁をしたことがバレやすくなります。
つまり、立ち止まらずに歩きながら放屁をすることが、一番安全かつ、出てくるガスもその分散りやすくなりますから、その分害も減りやすくなるわけです。
これもやはり人生と同じ。何か問題が起きた時は立ち止まるのではなく、前に進みながらしっかりと歩幅を保ちつつ、目的地に進めばいいのです。

人の体は本当に神秘だと思います。
たった1つの放屁という生理現象に、人生の縮図が込められている。
僕たちは、もしかしたら、様々なことからもっと学べることがあるのかもしれません。
さあ、歩みを止めずにただ進もう。立ち止まっている暇なんてありません。目指すゴールはまだアナタの目の前には無いのだから。

とりま仕事続けます。