とりま風呂

とりあえずまあ、はてブロでも。略して『とりま風呂』 by 常時系

社畜は精神に支配されるなという話

どうも @georgek5555 です。

僕は割りと精神的に弱いです。
どんなときも割りと自分を無茶させるタイプで、気づけば明らかに自分がショートしちゃうのが分かってても、そのまま過重労働させてしまう、ナチュラルボー社畜

社畜が根本的に好きか嫌いかは個別の判断でよいとして、それを自ら進んでやっている以上、特に社畜であることに問題はないと思っています。

しかし、自分を社畜にさせればさせるほど、人というのはわがままなもので、自分が自ら社畜の世界に見を投じたくせに、ちょっとしたことがあっただけで「うわーー!!!もうやってられるか!」となるもの。

社畜にならない人から言わせてみれば「ほらみたことか」であって、事前にそうならないために、社畜化しないようにしているんだと思います。

うわー!やってられるか!の代表的なものが、いわゆる『気持ち』があるかないか問題ですかね。

会社員なら上司、フリーランスとかならクライアントでしょうか。

それまで、自分にムチを打ってまでやってきて、そこでいただける対価が仮に少なくても「ありがとう」の一言でやっていけるみたいな人って結構いると思います。
しかし、その「ありがとう」や「ごめんね」などの発言が、欲しい時に出ないと「うわーー!!やってられるくわぁーー!!」になってしまうもの。

これって、結局自分は社畜ですので、過重労働でも問題ありませんって宣言しておきながら、精神的報酬を要求しているのであって、社畜にならない人との差が「金」なのか「精神」なのかの違いだけだったりする。

いや、そうは言っても精神的報酬が欲しいと願うのは自由だろう。

しかし、ふと立ち止まって考えてみると、例えば向こうのミスで何か問題が起きた時にそれまでやってきたことが全てパァになって、全部無かったことになったりした時、「ごめんね。せっかくやってもらったのに…」というヒトコトが無かったら「うわーー!!やってられるか!!」ってなって、そのヒトコトがあれば「仕方ないよね」ってなるって、冷静に見るとアホらしい。

もちろん、僕は冒頭でもお伝えした通り、精神が弱いのでここまで説明した通り「うわーー!!やってられるかーー!!」って思っちゃうほうなんですが、しかしたったヒトコトで救われるって言っても、じゃあそのヒトコトが無かっただけで、すぐに精神崩壊するってすごくアホらしい。

よく「そのヒトコトだけで救われるのになんで言ってくれないんだろ」って話が飛び交うが、これが夫婦とかなら解る。夫婦とか恋人とか精神でつながっている関係なら、それこそ精神で報酬を返すべきだろう。
いくら自分が働いて家にお金を入れたところで、夫婦とか恋人っつうもんは、精神で繋がった結果なのだから「俺は働いて生活させてやってる」なんてものは大きな間違いで、金しか脳がないならあんたなんかよりもイケメンか金持ちと結婚してたわとなる。
つまり、精神で繋がった関係は精神で報酬を渡すべきなのだ。

しかし、仕事の場合はどうだろう?
もちろん、よくいう「もっと金額的報酬が多ければ我慢できる」というのは先ほど話した夫婦間のそれとよく似たようなものだが、仕事の場合はそうでもない。
最初に契約が決められて、自分でオーバーワークにならないようにコントロールできなかった以上、そこに追加の金額的報酬を正式に求めない限り、結局は自分のせいだ。

自ら社畜化しておいて、相手の言葉で一喜一憂するよでは、いつまでたっても、前に進めない。
「ああ、この人はそういう人なんだな」と思ったら、別にプライベーとで一緒に1舟のたこ焼きを一緒につつかなければいいだけだ。

いや、何が言いたいかというと、言ってほしいなってヒトコトが言ってもらえないくらいで「うわー!!やってられるかー!!」なんてなっている暇は社畜には無いってことだ。
嫌ならやめるか、継続して後で腹パンでもするかどっちかだ。

とりま、しかし労いの言葉は欲しいよね。